コンプレックスとか

 

世の中、コンプレックスを抱えている人は過剰な被差別意識が自分の首を絞めていることもあるなと思う節が多々ある。

 

この前テレビに某清純派女優Aのお姉さんがでていた。

妹の女優さんはかわいいけど、お姉さんはお世辞にもかわいいとは言えない顔面だった。その人は、楽屋で電気を消して部屋の隅でロケ弁当を食べるらしい。なぜなら、自分がブスだから。存在を消さないと周りの人に迷惑がかかる、と思うらしい。

周りからしたら、別にその人が楽屋でロケ弁を食べていたとしても日常のとりとめもない光景として、何も気に止めることなく過ごすだろう。

しかし、当の本人はブスである自分がロケ弁を食べているという光景が不快な気分を与えてしまう、と考えるのだ。共演者には、‘逆に自意識過剰になっている’と指摘されていた。

 

 

私もまさに自意識過剰だと思う。

 

 

 

 

でも私には、彼女の気持ちが痛いほどわかる。

自分もそうだったから。自分の中のコンプレックスが大きければ大きいほど、他のことを考える余裕がなくて自分に関わる全ての事象を自分のコンプレックスにつなげてしまうようになる。私はブスだからこうなったんだ、やっぱり自分はブスなんだと、自分で自分を被害者に仕立て上げて勝手に傷ついてしまうのだ。このループに入るとなかなか抜け出せない。

 

 

 

美醜に関わるコンプレックスだけではない、人種差別も同じことが言えると思う。

 

この前記事に書いた黒人の話を思い出した。

HUBで飲んでいたら、黒人がナンパしてきて軽くあしらったらどうせ俺が黒人だから突き放すんだろう、と言われた。

 

こちらは全くそのつもりがなかったのに本人はそのように受け取ってしまったらしいのだ。

これは自分は黒人であるという無意識のコンプレックスが彼をそのような思考に導いているのではないかと思う。

 

特に人種差別になると国としてのイデオロギーや負の歴史もあって、余計に人は冷静な判断力を失いがちだと思う。

 

とあるデータでは同じIQを持つ黒人と白人を比較したとこと、黒人の方がIQが低くても知的な職業(医師とか弁護士とか)につける確率が2倍ほど上がるらしい。

このことから分かるように。むしろ‘黒人枠’があるおかげで黒人は優遇されているくらいなのだ。

それでも企業や大学で黒人の数が圧倒的に少ないと差別だと批判を浴びてしまう。

自分が差別を受けていると受け取ってしまう。

 

 

 

 

結局コンプレックスは、自分の捉え方の問題だから、幸せになりたければ自分が変わるしかないのだ。

 

でもそれはすっごく大変。時間と労力がかかるのだろうな。私もまだまだ、克服しきれていない。でも絶対克服したいと思っている。早く新しい景色をみたいなと思ってる。