担降りとかオタ卒とか

 

 

ジャニオタって担降りしますオタ卒しますって宣言するじゃない?

それで本当に終われるの?って思うわけ。

 

私の中でオタ卒は完全に健人くんに無関心になった時。

でもそれって宣言したところで完全に無関心にならなくない?

感情ってコントロールできなくない?

抑え込むことはできても抑え込んでいる時点で関心ありまくりじゃない。

 

でもね、

私の中で好きと無関心の波は常にあってその波がどんどん無関心寄りに近づいているのは感じるの。舞台挨拶に行った時、少年収に行った時、コレジャナイ感がすごかった。

きっと私の中で彼を勝手に神格化していた。

 

私が脳内で勝手に彼を美化し過ぎていたなって今更だけど気づいた。

彼は本当に私の理想で何から何まですきーと思っていたけど、理想的なのは当たり前。

中島健人という題材に私の理想を練り込んだものを彼自身だと思っていたから。

私は自分の脳内で作り出した健人くんに恋してたなってこの前の少年収で自覚したの。

 

 

そのことをはっきり自覚してから、あれほどかっこよく見えていた彼の顔も普通に見えてきて、ナルシストも前は自分を貫いてて好きいって思っていたっけどなぜかネタに見えてきた。

雑誌も写真もすべて意味のなさないガラクタになって、街で広告を見かけても何の感情も湧いてこなくなってしまった。催眠術がとけてしまったみたいに。

 

 

そんな自分が少し寂しい。今まであれほど輝いて見えていたものが何も色のないものに見えるのは切ない。

 

 

2年前、突然私に舞い降りてきてくれた健人くん。

健人くんの仕事に対する姿勢とか生き方とか、すごい大好きで尊敬してて

この先私は健人くんより好きになれる人なんか出てこないんだろうなって思ってた。

 

アイドルを職業として真剣に取り組んでくれて常にファンを楽しませてくれて、いい意味で常に予想の斜め上をいくようなことをしてくれて、健人くんのファンでいたら絶対に幸せになれるって確信は今でもある。

でも嫌いになろうって思って嫌いになれないのと同じように、好きになろうって思って好きになれるわけでもない。

これからどうなるか分からないけどとりあえず今は、あのころの熱狂は戻ってこないんだろうなと思ってる。

 

 

ああどうしよう、担降りブログみたいになってしまった。

 

こんなこと言ってるけど

明日もゴチ見るし来月からはツアーも行くよー!

 

担降りしなければいけない理由ができたとかいうわけでもないから私は自分の感情に任せます!好きな時は好き!無関心な時は無関心、それでいいよね!